東海労働弁護団が結成されて50周年を記念した総会とレセプションが11月29日に行われました。この席に是非とも顔を見せていただきたかったのが、安藤巌先生でした。安藤先生は、この事務所の所在する名古屋市中川区のお生まれで、京大を出て中日新聞の記者をされましたが、レッドパージにより放逐され、弁護士として再出発。中電の人権裁判や四日市公害の事件を担当され、その庶民性と包容力をかわれ衆議院議員を4期務められました。私が弁護士になったときは、弁護士としての第一線の仕事はされていませんでしたが、国民救援会の仕事のつながりで、金沢のH事件を一緒にさせていただく機会がありました。その頃のげんきさからすれば100歳まで生きると私は確信していたのですが、病を得て、84歳の生涯を閉じられました。今でも、安藤先生の好好爺としたお姿が目に浮かんできます。
労働弁護団も最近とみに若くて意欲的な弁護士が相次いで参加して、弁護団としては大きく力量になっています。問題は、労働者本体がどれだけ力をつけることができるかでしょう。