日米安保条約の違憲性が争われた砂川事件で、時の最高裁長官田中耕太郎が、アメリカに最高裁の判決期日や全員一致の判決が望ましいなどと漏洩していた事実が発覚した。すでに、田中長官は、1審の伊達違憲判決が誤りであるとの見解もアメリカ側に伝えていたことも明らかになっている。
田中長官は、松川事件で証拠とは離れた観点で死刑判決維持の少数意見を書いたり、八海事件では世間の雑音に惑わされるななどと放言するなど、治安維持、体制奉仕を露骨に体現した裁判官・・もともとは商法の学者・・であった。
最高裁が後に青法協攻撃をするときのタテマエは裁判官は政治的に中立でなければいけないということだった。しかし、最高裁の長官その人が、もっとも政治的に偏頗でかつアメリカに従属的であったことは日本の裁判史上の汚点として記憶しておいてよいだろう。
こんな人が最高裁の長官では、司法権の独立を説いても絵に描いた餅でしかないだろう。