20世紀の初めまで、強国が自国の利益のために世界各地に進出し、アフリカなどは英仏をはじめとするヨーロッパ各国の植民地となって分割された。武力によって、戦争によって領土を拡大するのがよしとされていた時代である。
そして、帝国主義国列強間の争いが、第一次世界大戦を引き起こした。ここに至って、ようやく国家が起こす戦争を避ける方策を考え始め、それが結実したのが1928年のパリ不戦条約である。その第一条には「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル」とある。
日本国憲法9条の「戦争放棄」もこのパリ不戦条約に源流がある。しかし、パリ不戦条約もその後の何回かにわたる軍縮交渉も第2次世界大戦を止めることはできなかった。単に「戦争放棄」をうたっても、国家には自衛権があるとか、ヘリクツをこねて戦争屋は戦争を続けたのだ。
日本国憲法が不戦条約を一歩先に進めて、「戦力の不保持」を掲げたのは、侵略戦争に対する痛切な反省にたってのことだった。現実の歴史は、残念ながらこの条項が形骸化されていく過程ではあっても、なお、憲法の存在は、歯止めとして有意義なものであった。
先日、安倍首相が、「侵略の定義は定まっていない」と発言したことに韓国などから反発が出ていることに関し「学問的なフィールドにおいてさまざまな議論がある」と改めて指摘したうえで、「政治家としてそこに立ち入らない」と述べた、という。過去の日本の侵略行為に目を閉ざして、今戦争をできる国にしようと改憲を企てる首相が、アジア諸国の信頼を勝ち得ることは不可能なことはいうまでもないことだ。